正岡子規が詠んだ花街「柳橋」にまつわる俳句をご紹介

台東区に縁のある俳人、正岡子規が、かつて花街として栄えた「柳橋」を詠んだ句がいくつかありまして。


浅草橋より望む、現在の柳橋(右手奥の緑色の橋)


台東区&墨田区の印刷人Blog、管理人のKazuhiroです。

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柳橋に残る正岡子規の句


明治時代には、新橋と共に「柳新二橋(りゅうしんにきょう)」と称され大変に栄えたとのこと。

昭和の中ごろまでは、芸妓さんも多くいたんだろうと思います。


夜の柳橋


「春の夜や 女見返る 柳橋」

「御白粉の 風薫るなり 柳橋」

「菖蒲提げて 女行くなり 柳橋」

「贅沢な 人の涼みや 柳橋」


正岡子規が詠んだ「柳橋」の句は、調べると四句あります。

どことなく艶めいたイメージのある句ですね。柳橋界隈を行く芸妓さんの姿を詠んだものでしょうか?

だいたい、明治20年代後半の句であるようです。


柳橋の南詰にある碑



碑の右端に、二つの句が彫られています。

「春の夜や 女見返る 柳橋」の句は、いろいろなところで紹介もされていますので、ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんね。

柳橋で遊んだお客さんを見送っている芸妓さんを詠んだものでしょうか?

あるいは、こちらを振り向いて見ている柳橋界隈の女性の姿を詠んだ句でしょうか?

いろいろに解釈でき、いやでも想像が膨らみます。


古民家をギャラリーとして利用している「ルーサイトギャラリー」さん



かつての遊興コース「柳橋~吉原」


柳橋は、かつて江戸随一とも言われた歓楽街、両国がすぐそばにあり、吉原へ遊びに行く客たちを載せる「猪牙舟(ちょきふね)」の発着場でもありました。自然と柳橋周辺にも船宿や料理屋が並ぶように。

吉原へ行く前には、柳橋で飲んでから大川(墨田川)を船でゆられながら向かうというのが「通」と言われる人たちのお決まりのコースだったとか?

料理屋や料亭などは、ほとんど無くなってしまい、現在は神田川の両岸に並ぶ屋形船の船宿がかつての栄華を偲ばせるのみ。

石塚稲荷神社「柳橋藝妓組合」の文字が見える


現在の柳橋界隈は、すっかりオフィス街と化しています。

ところどころに往時を偲ばせる建物なども残されていますが、時の流れには逆らえないようです。


柳橋界隈に今も残る、民家の土壁

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